終わらぬ戦後

2002年6月10日(月) テニアン

irei


日食1日前
rooftop 日食の前日、同じ時刻のホテル屋上。
たくさんの人が太陽の状態を下見中で、既に望遠鏡をセッティングしている人もいました。

太陽の周りには雲が多く、隠れて見えなくなることもしばしば。
1日後もこのような状況なら、少し場所が違っただけで明暗が分かれそうです。

小さな島の戦争跡
tinian-road 午前中はバスに乗ってテニアン島めぐり。
あまり観光地化されていない島なので、海の他の対象はあまりありません。
そのおかげで太平洋戦争の爪跡が未だに残されているので、それらを中心に回ります。

テニアン島の人口は3000人ほど。島内に信号が一つもありません。
島の中央を南北に貫くのは、米軍が作った "BROAD WAY" と呼ばれる大通り。 物資の輸送をできるだけ短時間にするため直線に作られており、小さな丘もかまわず乗り越えています。

自殺崖
suicide-cliff 最初の訪問地は島の南端近くにある "Suicide Cliff" と呼ばれる崖。
日本語に訳せば「自殺崖」

1944年8月1日にアメリカ兵に追い詰められた多くの日本人、沖縄人が、降伏するより死を選び、この切り立った崖から飛び降りたそうです。

崖の縁近くには柵もロープもなく、足下を確かめながら歩かなければなりません。
近くには大小の慰霊塔や慰霊碑が立てられていました。 地域別、個人別いろいろですが、比較的新しいものが多いのが目立ちます。

原爆搭載地
atomic-bomb 島の北部は米軍の飛行場跡。
太平洋戦争で使われた4本の滑走路が残っています。

1945年8月、広島と長崎に原爆を落としたB29はこのテニアン島から飛び立ちました。
原爆をB29に搭載したそれぞれの場所に鳥居と記念碑が立てられています。
特別に観光地化されているわけではなく、低い木に囲まれた広場の中に小さな鳥居がひっそりと立てられていました。

日本軍司令部
command-post 旧日本軍の司令部跡。
壁や天井には弾痕が残り、床や天井には大きな穴が空いています。
炊事場やトイレの跡も生々しく残されています。

保存のため多少手を加えているようですが、看板が一つあるだけで見たければ勝手に見てくださいというような状態になっていました。
柱の何本かは鉄筋は剥き出し、虫の巣だらけなっていますが、60年近くが経過した割には意外にしっかりしているという印象を受けます。

間欠海水
blowhole ガラっと趣を変えて、ここは島の北東にある「潮吹き海岸」。
この付近の海岸はサンゴの死骸でできた、もろい岩。
海岸に打ち寄せる波が、岩の下の洞窟を通り、岩の穴から間欠泉のように噴出しているところがあります。
地中からわき上がる間欠泉と違い、吹き上がった潮はすぐに引いてしまいます。

潮吹き海岸の映像です。 QuickTime ダウンロード
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タガ遺跡
taga バス観光の最後は南の海岸にあるタガ遺跡。
高さ数mの細長い岩の柱の上に、御椀のような石が乗っている遺跡です。
現在立っている柱は1本だけですが、昔は12本の柱が立てられてたそうです。 倒れた柱が周りに転がってました。

案内板には "TAGA HOUSE" と書かれていますが、 本当の目的はわかっていないようです。

トロピカル満開
marine タガ遺跡からホテルまではそれほど距離がないので、ここでバスを降りて海岸沿いの道を歩くことにしました。
雲が流れる空とは対称的に、透き通った海はよどみが全くなく、青に緑に染まっています。

flower 道端にはトロピカルな花が咲き、大きな実がなっています。
昨年、アフリカのジンバブエで実だけを見た木と、ここでは花と一緒に再会。

燃え上がるオレンジ
flame-tree テニアンでもサイパンでも一番目立つ花は、オレンジ色の "FLAME TREE"。 日本語で「火炎樹」あるいは「南洋桜」と呼ばれているそうです。

枝に実が下がっている木もあるのでよく見ると、それは大きな豆のサヤ。
これもジンバブエでサヤだけを見ていたものですが、あまりに花がハデなので、どちらも同じ木だとはなかなか結び付きませんでした。

体力の限界
ホテルに到着したところで昼になりました。
午後は丸々自由時間ですが、海で泳いだり潜ったりする予定はありません。

蒸し暑さに負けて明朝の日食に影響が残らないよう、ホテル内で過ごすことにしました。


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